なぜ「赤い靴」タウン情報なの?
 このサイトでは、横浜を中心としたタウン情報を発信しています。
その発信場所は横浜市中区の山下公園内にある「赤いくつの女の子」の像と仮定さ
せて頂きました。
「赤いくつ」の詩の中にもありますが、女の子にとって出発点はこの横浜であり、
異人さんに連れられて外国に行き、様々なものに出会い体験した事でしょう。
つまり、「タウン情報」という情報源がこの山下公園の女の子からグローバルに発信
され、その情報を見られた方々が様々な出会いと体験をされ、少しでも喜ばれれば
幸いに存じます。
赤いくつ
作詞者 野口雨情  作曲者 本居長世
    1. 赤いくつ はいてた 女(おんな)の子
異人(いじん)さんに つれられて行(い)っちゃった
    2. 横浜(よこはま)の波止場(はとば)から 船(ふね)にのって
 異人(いじん)さんに つれられて行く(い)っちゃった
    3. いまでは 青(あお)い目(め)に なちゃって
異人(いじん)さんの お国(くに)にいるんだろう
    4. 赤いくつ みるたび かんがえる
異人(いじん)さんに 会うたび かんがえる
<赤い靴はいてた女の子 像>
横浜市 山下公園内

大正10年12月「小学女性」作詞の背景を菊地寛氏が記者時代に調べた。
「女の子」には静岡出身のモデル(いわさき きみ)がいたが母親の事情によりアメリカ神父に預けられる。
実際は彼女が結核で行っていない。青山墓地に葬られています。
日本平に<親子の像>横浜の山下公園に<赤い靴はいてた女の子>の像が建てられています。

作詞家 紹介
野口 無情(のぐち うじょう)
   
【童謡】 『七つの子』  『赤いくつ』  『十五夜お月さん』
  『あの町 この町』 『こがね虫』 『うさぎのダンス』
  『シャボン玉』 『雨ふりお月』 『証城寺の狸囃子』
  『青い目の人形』 『春のうた』 『木の葉のお船』
  『南京ことば』 『キューピーちゃん』 
  『雀おどり』 『十六角豆(じゅうろくささげ)』
  『蛙の夜まわり』
  『豊作唄(ほうさくうた)』 『ねこねこ楊(やなぎ)』
【わらべ歌】 『俵はごろごろ』

大正・昭和期の詩人作詞家。
茨城県生まれ。
本名は栄吉。
東京専門学校中退後、北海道へ渡ったり、郷里で植林事業に従事したりしていた。
明治38年日本で初めての創作民謡集『枯草』を刊行。
大正8年頃より童謡を書きはじめ、大正9年「金の舟」(後「金の星」)の編集者となり、北原白秋、西条八十(やそ)とともに近代童謡の基礎をつくった。
中山晋平、本居長世らの作曲を通して広く知られている。
大正10年第一童謡集『十五夜お月さん』を刊行、以後旺盛な作品活動を展開した。
『船頭小唄』(大正7年)、『紅屋の娘』(昭和5年)など。郷里茨城県北茨城市(むかしの磯原)に記念館があり二つ島というところに民謡碑『「通りゃんせ」』の像の台座に「雨降りお月さん」の四行が刻まれています。
(1882−1945)
【詩集】 創作民謡集『枯草』 1905 (明治38年)
  創作民謡集『別後』 1921(大正10年)
  『波浮の港』 1928(昭和3年)
【童謡集】 『十五夜お月さん』 1921 (大正10年)
  『青い目の人形』 1924(大正13年)
  『蛍の灯台』 『朝おき雀』 『証城寺の狸囃子』

作曲家 紹介
本居 長世(もとおり ながよ)
   
【童謡】 『めえめえこや子山羊』 『赤い靴』
  『七つの子』 『十五夜お月さん』
  『青い目の人形』 『お山の大将』
  『汽車ポッポ』 (作詞・作曲)
【わらべうた】 『俵はごろごろ』

大正・昭和期の作曲家。
東京生まれ。
本居宣長の正系。
晩年長予と改名。
1908年東京音楽学校卒。
同校助教授、文部省邦楽調査掛兼任。
三味線・長唄音楽の調査・研究を行う。
宮城道雄らと新日本音楽運動を興す。
1914年ごろ小オペラを発表した。大正末期、童謡の多数発表によって、彼は知られている。
近世邦楽的な要素が見られるほか、転調が多いなど複雑な手法も用いている。
こうした童謡作品は彼の3人の娘たちによってステージで歌われ、隆盛期の一角を担った。
(1885−1945)
【オぺラ】 小オペラ『夢』 1914(大正3年)
  おとぎオペラ『月の国』 1914(大正3年)